3.11 東日本大震災~あれから7年・被災して思うこと

2011年3月11日、
あの日は茨城県水戸市から浜松市にお引越しする予定でした。

 

夕方からの搬出に備えて、友人たちと荷物の梱包をし、午後2時すぎからちょっと休憩。

…大地がうねってる!
地震だ!
逃げろ~!

縦揺れでも横揺れでもなく、ねじれてる。
足を取られながらなんとか広場へ。
揺れが落ち着くまで30分くらい地面に伏せって。

誰かが携帯電話でテレビをつけると…津波が襲ってる!

世の終わりだ!

と、本当に思いました。

 

地震直後から、水道・電気・ガスは使えず、信号はつかず、道路はがれきが散乱。
家族や友人を心配しても、携帯電話もつながらない。

東北地方の被害がひどすぎて、ほとんどニュースにならなかった北関東。
だけどライフラインが寸断され、被災した人の数はとてつもない。

もうだれも引越しの話はしない。
震度5以上の余震は続き、今日生きるか死ぬかという状況。
スーパーもコンビニもガソリンスタンドもやってない。
食べるものが手に入らない。

そのまま友人宅に数日お世話になる。
2日後に電話が使えるようになったので、引っ越し業者に電話しまくり、ようやく荷物を運んでもらえることに。

でも私はどうやって浜松へ?

高速道路も鉄道も寸断され、陸の孤島になった茨城県北部。
どうやって脱出できるのか?

友人たちが車で千葉まで送ってくれるという。
ガソリンの給油に3時間ならんで、片道2時間かけて、それでも送ってくれると。
千葉から高速バスが出てるから、東京まで行ったら新幹線に乗れるからと。

震災から4日後、とうとうお引越し。
朝早いのに、みんな被災して大変なのに、たくさん友人たちが見送りに来てくれました。

千葉に向かう途中立ち寄ったコンビニも食べ物は全く無し。
東京か浜松で調達しよう。
無事に浜松までたどり着けるかどうかの緊張で、食欲もないし。

千葉まで送ってくれた友人たちが、最後に「これ」と言って渡してくれたおにぎり。
涙で言葉に詰まる。
自分たちだって食べるものが手に入らないのに、私はすぐに食べられるんだから大丈夫なのに。

 

 

高速バスでたどり着いた東京は、いつもと違ってどんよりしてる。
新幹線のホームで会った親子は、福島が危険だから静岡に行くと言ってた。

いろんな思いを閉じ込めて浜松到着。

 

駅の改札を出ると、あまりのちがいにただただ驚く。

ここも日本か…

すべてのものがそろってる。
手を伸ばすところにはたくさんの食べ物。
忙しそうに行き来する人々。

さっきまで生きるか死ぬかの状況だったのに、おにぎり1個が貴重だったのに、
繰り広げられるなんでもない日常に違和感を覚えた。

 

被災して思うことは、
大切なのは物ではなく、目に見えないもの。
極限の状態で現れる人間性。
自分がどんな人間なのか、自分の事だけ考えるのか、それとも他の人たちの事を考えられるのか。

友人たちが示してくれたたくさんの愛情。
自分もいつでもそうできるように。

きっと震災を経験したたくさんの人たちが同じ気持ちを持っていると思います。

 

あれから7年。

毎年3月11日になると、友人たちへの感謝を思い出す。
きっとこれからも…

 

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