それぞれの感じ方

先日、母を誘ってアレクセイ・メリニコフのピアノリサイタルに行ってきました。

3曲目、4曲目はドビュッシーの「沈める寺」と「花火」でした。
2曲終わったところで母に「どうだった?」と尋ねると、
「お寺が海の中にゴボゴボと沈んでいく感じがよくでていたよ」との答え。

よしよし、けっこうわかっていらっしゃる。
「それじゃ「花火」はどう?」と私。

「花火?」「いつやったの?」

「沈める寺のすぐ後に」

「ああ、あれ花火だったんだぁ。お寺が海からまた出てきたのかと思った!」

…ずいぶん派手な登場の仕方だと思ったことでしょう。
2曲続けての演奏だったので、母には曲の切れ目がわからなかったようです。

次にムソルグスキーの「展覧会の絵」が演奏されました。
母に言わせると、絵は5枚!しかなかった、とのこと。
…うーん。10枚あったんだけど。

音楽は演奏者の表現もさまざまですが、受け取る側の感じ方もさまざまで、同じ曲を同時に聴いていてもまったく別のものとしてとらえることができますね。

良い悪いではなく、それぞれの感じ方。
大切にしていきたいです。